zurezuregusa

徒然草のように徒然なることをずれた視点からお送りするブログ。ぐさっと刺さってくれれば幸い。

1917 命をかけた伝令

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『1917 命をかけた伝令

★★★★☆(9/10点)

監督: サム・メンデス

出演: ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、マーク・ストロングアンドリュー・スコットリチャード・マッデンクレア・デュバーク、コリン・ファースベネディクト・カンバーバッチ


戦争をもとに起こる喜怒哀楽を一本の作品にまとめあげた映画。ワンカット風の演出で『24』のようなリアルさを感じる。ワンカットのおかげで没入感、臨場感がすごい。終始ヒリヒリした感情に苛まれる。ただ、頻繁に遮蔽物の後ろにカメラが回るのでカットのタイミングはバレバレ。『バードマン』の時はどうやってワンカット風にしているのかわからないシーンが多くあり、撮影賞にも頷いた。だが、こちらはあまりひねったことをしていない。そういった意味で題材に対する演出としては正解なのだが、撮影賞にノミネートされたいがためのチョイスでもあるように感じる。とはいえ、光と影の濃淡で絵画のようにさえ感じるシーンや、塹壕の土煙を感じさせるシーンなど臨場感はすごかった。

ワンカット風のFPS的なカメラワークのため入り込んでしまい、結構ビビる。感情移入しているといきなりおどかされるのでびっくりしてしまう。割と早めに急な爆発シーンがあり、声を出してしまった。ホラー的にいつ殺されるかわからないハラハラ感で目を開けていられないシーンも。車で橋のたもとまで送ってもらい、いきなりの銃弾。そこからのシーンは割とヒヤヒヤで目を背けたくなるほどだった。戦闘機の墜落もまさかこっちにくるとは、と急に死がリアルさを持つ瞬間を疑似体験し疲れてしまった。

一方、赤子のシーンがいい。ハラハラ感でたまらないシーンから急に女性と赤子の隠し部屋のシーンへと移る。緩急がすごい。赤子は誰の子かも何才かもわからないような赤子で、ただその子を助け面倒を見ている女性に涙する。さっきまで殺し合いをしていた主人公までもがその虜となり、貴重な食料を置いていく。赤子になぜか希望を見出してしまうこの感情は人類共通のものなのだろうか?その清涼剤にすら思えるシーンが映画全体をただのホラー調から反転させている。その喜楽のシーンがあるから怒哀が引き立つ。

ワンカットに重きを置いているため、ストーリー的には凡庸だ。大変な思いをしながらも伝令を伝えるという大枠のため、結末は想像できてしまう。そのため、それを避けるために主人公を当初2人おくシステムを作った。兄の部隊を救うため、今すぐ歩を進めたい主人公と巻き込まれただけのもう1人の主人公。最初は2人で目的地へたどり着くのかと思っていた。それが冒頭の爆発、そして戦闘機の墜落でひっくり返された。当初の主人公が敵軍兵士を助けたせいで無駄に刺されるのは意味がわからなかった。カット割りのため肝心の刺されるシーンも描かれず、なんとも腑に落ちない展開となった。あのまま死んでしまうからもう1人の主人公が進む理由となるのはわかるのだが、突発的すぎて何がなんだか。本当の戦争はこういうものなのかもしれないが。

コリン・ファースマーク・ストロングベネディクト・カンバーバッチなどイギリス映画御用達の俳優が続々と出てきてびっくりした。メインどころはそういう大御所なので、これは誰だ?と見るのが楽しかった。後で役者を知ると驚くような人も出ていて驚いた。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

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スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

★★★☆(7/10点)

監督: J.J.エイブラムス

出演:デイジー・リドリーアダム・ドライバーマーク・ハミルキャリー・フィッシャージョン・ボイエガオスカー・アイザックヨーナス・スオタモアンソニー・ダニエルズ


うーん、9作品を取りまとめる作品として舵取りが難しかったか、JJを持ってしても駄作になってしまった。ファンサービス的に過去作品からのオマージュやキャラクターの登場が多くあったが、盛りだくさんすぎて情報過多。シーンごとに情報を与えられ続け、タメを作れなかったように思う。同じようにこれまでの作品の総まとめであったエンドゲームが傑作すぎたせいでどうしても霞んでしまう。最後の最後に皆が助けに来てくれる、それ自体はストーリーとしていいのだが、宇宙船大集結のシーンは前フリが効きすぎていて下手くそすぎる。エンドゲームのアッセンブルと似たものを感じるが比較にならない。もっと絶望的な状況を引き出すなりしてタメを作れた方がいい。また大集結から大活躍すれば良いのに、すぐパルパティーンに蹴散らされる。全体的に詰めに詰めているせいでカタルシスを感じるシーンが少なく感じた。タメとそれに呼応するカタルシスとその余韻とを取る余裕がなかった。カイロレンとレイしか見せ場がないため緩急が少なく、見せ場が上手に描けていない。前作はそれぞれが別の舞台で活躍し、集結するため達成感があった。また、各人に成長が見られ、次世代を期待させる展開もあった。今作は主人公チームの作戦にフューチャーし、他の舞台はほぼ描かれない。それが故レイの独断先行が目に余る。レン機で勝手に単独行動をとり、スターキラー跡でも勝手に船を出す。レイが自分の思いを叶えたいために自己中になりすぎていて、主人公として不安だ。そりゃ暗黒面に落ちかけるわという感じ。

カイロレンは今作のキーとしてよく働いたと思う。再三再四レイの前に現れ、ダークサイドへと手引きする。だが最後には母の決死の呼びかけとレイの優しさに触れ、ライトサイドへ転向する。レイとの共闘は前作でやっているので正直微妙だったが。最後の筋もベタだが好きだ。

フィンは何を言おうとしていたのか。レイが好きとか言い出すんじゃないかとヒヤヒヤした。クソ二股野郎になるとこだ。また、「感じるんだ」とかフォースを使えるような描写もあって今後がどうなるのか気になる。

ポーは前作で賢い判断もできる成長を見せたはずが、また猪突猛進な脳筋バカになってしまった。残念だ。こいつを将軍に据えるのはちょっと違う気もする。ポーは一歩下がって、「お前がいないとダメだとわかった」とかフィンを将軍に据えるような賢さがあって欲しい。

ローズがちょい役に成り下がってかわいそうだ。白人、黒人、女性、ドロイド、ウーキーと皆が手を取り合って戦う様子は博愛主義的だが、まだ白人目線での人間でしかないなと感じた。前作であんなに出張っていたのに完全無視されるとはポーグと同じ扱いで酷すぎる。アイデアを出すようなシーンもなく、名前のある脇役でしかなかった。ブサイクだからしょうがないのか。

ランドはちょい役で終わるかと思いきや、意外と出番があった。ただ、ランドである必要があるかと言われればそうでもないし、ランドの善悪どっちつかずな感じも失われていた。またランドの娘と目されたジャナはそういうわけではなかった。ジャナは元トルーパーの割にただのいいやつで、旧三部作の裏切りもあるヒリヒリした感じなかった。

レイアは最初に出てきた「不可能なんてない」のシーンがグッとくる。キャリーが亡くなってるからこそ胸にくるシーンだ。まさかの姫時代もあり、昔からライトセーバー使えていたのがサラッと明かされた。

ハックス将軍はかなりキャラも立っていて、過去二作でも良かったが、今作はその集大成だ。カイロ・レンに復讐するためというなんとも勝手な理由でスパイに名乗り出てくれたのは愛らしくもある。最後は小物っぽい殺され方になったのが残念だ。

イウォークやレッドウィング、2つの太陽を見るラストなど旧三部作を意識したシーンがたくさんあったのは良かった。願わくばイウォーク族とフォースゴーストになったレイア達に見守られながらの宴が見たかった。ハンの登場にも驚かされた。「I know」もエンドゲームにおけるアイアンマンの件を思い出すが、いいシーンだ。一方でハンの登場は取ってつけたような内容で結論ありきな感じもする。

前作の要素をかなり無視した作品になっていて、それが嫌だ。前作で次世代への転換、成長、また万人が使えるフォースとしての可能性が描かれた。しかしレイアは未だ健在で、死んですらいたはずのパルパティーンの復活、カメオ的登場のハンソロ、スターキラー基地の登場など過去はまだ捨てきれなかった様子だ。しかも、あの8のラストの男の子が一切出てこなかったのに納得がいかない。「ジェダイが私だけなど奢りだ」と語り、すべてのものが力を持つと語ったルークはどこへ行ったんだ。また、レイの両親は何でもない、どうでもいいやつだったのではなかったのか。「最後のジェダイ」を根本からひっくり返す作品で唖然だ。結局、血縁、選ばれしもののための映画へと逆戻りしてしまった。唯一8の伏線が使われているのが、最後のレッスン。あとは仲間だ絆だどうでもよいことでパワーアップしていてなんとも言えない気分になった。

チャッピー

『チャッピー』

★★★☆(7/10点)

監督:ニール・ブロムカンプ

出演:デヴ・パテル、ヒュー・ジャックマン、ニンジャ、ヨ=ランディ・ヴィッサー、ホセ・パブロ・カンティージョ、シガニー・ウィーバー


※ネタバレあり


様々なレビューで『第9地区』との比較、そしてこれが駄作であるという論調を見かけるがそんなに悪くなかった。どうしてもヨハネスブルグという特殊な舞台と最近珍しいSFを前面に押し出した作風がそうさせるのだろうが、『第9地区』と遜色はなかったと思う。ただ、「脚本はもう少し練れたかな」

という感はある。

AIロボットがギャングに育てられるというストーリーは非常に面白い。しかも一方はいっぱしのギャングに育てようとし、もう一方は本当の息子のようにロボットを愛でる。演じる「ダイ・アントワード」の二人、ニンジャとヨーランディは出色だ。特にYOUのようなハスキーボイスのヨーランディはすごく魅力的。あの独特のヘアースタイルやアジトの内装のカラフルさ、謎の模様などセンスがぶっ飛んでいて最高だった。犯罪はしないが「おネンネ」はさせるという絶妙なポリシーを持ったがゆえ、終盤ヴィンセントを殺さず許す。そのシーンはなんでもやられたらやり返す昨今の風潮に一石を投じる。そんな「本気で怒っているが許す」心をもっているのがチャッピーなのだ。その辺りの行動哲学が類型的でないのが良い。

だが、結末につれ明らかになっていく別テーマ「人格の保存、移し替え」に関しては生煮えであったように感じた。『トランセンデンス』でも扱われたテーマだが、オチとして使うことありきで脚本に盛り込まれているため違和感がすごくある。そこには葛藤があったり障害があって然るべきなのに、いとも簡単に乗り越えてしまうからだ。新たな倫理観は問題提起をして観客に考えさせた上で答えを提示した方が良いのではないか。観客側は急に起こったことについて行くのでやっとで、その是非まで頭が及んでいないと思う。それ故、現在ではまだあまり受け入れられない倫理を突きつけられた際、否定的な感情つまりつまらないと感じてしまう。もったいない。もう少しよく料理すれば、もっと面白くなったはずだ。例えば、チャッピーがディオンを助けてバッテリー切れで死ぬ、ニンジャがヨーランディのメモリも廃棄してしまう、など。「無敵のチタン製」だったはずのチャッピーが死に、本当なら脆いはずの人間が生き延びる。そのことによる新たな死生観の提起。ニンジャがチャッピーを諭して「あいつは次の場所へ行ったんだ」「どこ?」「心だ」。そんな綺麗なエンディングで不死と死を考えさせる。その方が心に残っただろうと考えるがいかがだろうか。

シンデレラ

『シンデレラ』

★★★☆(7/10点)

監督:ケネス・ブラナー

出演:リリー・ジェームズ、ケイト・ブランシェット、リチャード・マッデン、ソフィー・マクシェラ、ホリデイ・グレインジャー、ステラン・スカルスガルドヘレナ・ボナム・カーター、ベン・チャップリン


王道をお金をかけてここまで極めるとキレイな映画になるもんだ。そういえばシンデレラってこういう話だったと思い出しつつ、改変がほぼほぼない脚本に驚いた。今時、どの作品も過去とどう差異を出すかに四苦八苦しているのに全く原作のままとは。一周回って王道も有りだと思わされた。こんなに興行収入を上げるのはよくわからないが。

リリー・ジェームズはめちゃくちゃキレイなのだが、谷間が見えるのがなんだか童話的世界観にそぐわないように感じた。ヘレナ・ボナム・カーターはディズニー御用達になってきているが、妖精役の似合わないこと似合わないこと。エンドロールまでそうだと気づかなかった。なんか奇妙なばばあが出てきたなぁという感じ。もっと若ければ娘役にぴったりだったろう。

シンデレラの「形見のドレスだから新品にしたくない」とかいっときながら、色も違う全くの別物にされたドレスに「まぁ素敵」とか言っちゃうセンスが最高だわ。

セッション

『セッション』

★★★★★(10/10点)

監督:デイミアン・チャゼル

出演:マイルズ・テラー、J.K.シモンズ、ポール・ライザー、メリッサ・ブノワ、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング、クリス・マルケイ、デイモン・ガプトン


※ネタバレあり


『バードマン』を見た翌週にこれを見ると、もうなんか永久に洋画には勝てない気がしてくる。『12歳のボクが大人になるまで』『アメリカン・スナイパー』『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』『バードマン』と今年の賞レースに絡んだ作品は割と見てきたが、また名作に出会ってしまった。

冒頭、大きな音に驚かされる。いつもより大きなボリュームに文句の一つも言ってやりたかったのだが、確信犯だった。そこからずっと鼓膜の震えが心臓も震わせる。全編なりっぱなしのドラム、スネア、シンバルが首を振らせ、指を叩かせ、貧乏ゆすりさせる。先日『マエストロ!』とかいう同じく楽団を舞台にしたクソ映画があったが、足元にも及ばない。靴についた泥レベルだ。

フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹をモデルにしたようにしか見えないフレッチャーにはカリスマ性を感じる。戸塚ヨットスクールのようなものだ。無慈悲な悪は善良な市民には止められない。それと戦えるのは覚悟のある若者だけだ。

主人公こニーマンは序盤、ただ殴られているだけのヘタクソ、負け犬だった。しかしフレッチャーに抵抗し始める。俺は偉大な音楽家になるんだ、と。家族は彼に理解がない。彼女も彼には邪魔である。何もかも捨て、盲信し猛進し妄信するニーマン。すぐ地位が揺らぐようなこのバンドでの主演者をなんとしてでも固めるために、血が出ても、汗が吹き出しても、体液が吹き出しても彼は叩く。フレッチャーにすら食ってかかる。ニーマンが事故る辺りから観客はどう結末を迎えるのか、真っ暗な洞窟の中をトロッコに乗せられた気分だ。タッチよろしく「実は鬼軍曹は生徒を思ってのことだった」。そんな帰結を予想して迎える「私をナメるなよ」のセリフ。「スカウトは下手うった演奏家の顔を忘れない」とまで言われた後での曲目の急な変更が行われ、その状況にニーマンも一度は挫折する。しかし、そこで彼は思い出すのだ。「挫折した者だけが立ち上がれる」と。チャーリー・パーカーのように変貌を遂げた彼はついにフレッチャーを無視する。必要としない。しかし、一方でそれに飲み込まれず、戦うフレッチャー。そんな状況が長く続き、そして、2人が笑みを浮かべ融和した時終幕を迎える。最高の筋書きだ。二度のどんでん返しから迎えるラストは観客を滾らせる。夢を持つ若者全てにオススメしたい檄作。

カイト/KITE

『カイト/KITE

★★(4/10点)

監督:ラルフ・ジマン

出演:インディア・アイズリー、サミュエル・L・ジャクソン、カラン・マッコーリフ、カール・ボークス、テレンス・ブリジット、デオン・ロッツ、ライオネル・ニュートン


原作も見たが似ても似つかぬ別物だった。同じなのは名前とか弱な少女が殺し屋だということだけ。原作に思い入れがあるわけではないので、ストーリーの改変に対する賛否はない。ただ、単純にストーリーとしてはつまらないものだった。

協力者のアカイが真犯人だと小学生でも気付く脚本の運び方でアホかと思う。ミスリードもなく、記憶をなくさせる薬まで渡し怪しさ満点のアカイをなぜ主人公がそんなに信用しているのか謎だ。というか気付いているならオブリが言ってあげればいい。そこでどちらが正しいのか思い悩みながら進む方がまだ見ていられる。サミュエル・L・ジャクソンの無駄遣い映画。

良い部分を挙げるとすればアクション面だろうか。冒頭のカバンから銃を取り出すのはスタイリッシュでカッコイイ。またそのシーンをはじめ劇中の何箇所かは原作を模したシーンになっていて、原作を読んでいれば唸ることができるだろう。ただ、逆に言えばそれくらいしか原作の成分はないので、序盤に出てくるそのシーンを迎えた後はただただつまらないかもしれないが。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

★★★★★(10/10点)

監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ

出演:マイケル・キートンエドワード・ノートンエマ・ストーンナオミ・ワッツ、ザック・ガリフィナーキス、アンドレア・ライズブローエイミー・ライアン、リンゼイ・ダンカン


※ネタバレあり


アカデミー賞の作品賞を取っているのにいまいちレビューの評価が高くないから地雷かと思っていたが、なんのことはない、傑作じゃないか。「どうやってワンカット風に撮っているのか」なんてレビューも見かけたが、静物だけのシーンや接写で暗くなるシーンでカットしているだけだろう。そんなことはどうでもいい。それでもワンカットが膨大な台詞量になるので俳優陣には頭が下がるが。そのワンカットに見える演出もすごいが、もっとすごいのは演技と脚本だ。

特にマイケル・キートンエドワード・ノートンエマ・ストーンは出色だ。リーガンとマイクが言い合うシーンや二人の初演技セッション、マイクとサムのやり取りなど。引き込まれるというんだろうか、こっちまでその会話に参加している気になる。だから嘘をつかれると、やられたという気分にまでさせられた。そりゃマイケル・キートンエドワード・ノートンアカデミー賞候補になるわという話だ。エマ・ストーンアメイジングスパイダーマンではただの可愛い子って感じなのに、この作品では大化けしている。

脚本に関しては、まず台詞運びの上手さが挙げられる。本当にそうしゃべるであろう台詞のチョイスと、短い台詞の掛け合いでリズム良く話が進むのが面白い。劇中劇も、何度か同じシーンを流すことで台詞を覚えさせ、ラストではその意味が非常に違った意味に感じられてくる。バードマンからの脱却のために演劇界に進出したのに素人から聞こえるセリフは「バードマンだ!」ばかりであったり、SNSをひたすら嫌悪するリーガンが逆にそれで取り上げられて話題になったり、たまたまの自殺騒動が酷評された記者からの絶賛を産んだり、皮肉が効いている。何より、この作品をマイケル・キートンが演じていることが一番の皮肉だろう。皮肉もかなり笑えるが、単純にブリーフ一枚でタイムズスクエアを闊歩するところからの流れが一番笑える。アカデミー賞でもパロられるわけだ。

初めのカットは空中浮遊しているところから始まる。つまり、リーガンの気が狂っているであろうことが示唆されている。それはプロデューサー視点からリーガンを見たシーンでほとんど真実だと語られるため、終盤にかけて第三者としてそれを見させられる観客は自殺してしまわないか延々とヒヤヒヤさせられる。アベンジャーズやマーティン・スコセッシメグ・ライアンなど実名がポンポン出てくることで、異世界のことではなく同じ世界のことだと感じるような没入感も促しているのだ。それゆえリーガンが飛び降りるシーンで、本当に飛び始めたので「あぁ、もう本当は死んでて夢オチエンドか」とさえ思った。その辺りはかなり『ブラックスワン』と似通っている。ただ、『ブラックスワン』が精神錯乱だけを主題としたのに対し、こちらはそれに加えてブロックバスター映画への批判、SNSへの嘲り、『TED』的なメタ構造による面白さなどたくさんのものをテーマに取っている。その点で『ブラックスワン』より勝っており、その多くの面で構成されていることがこの映画の面白さだと感じる。

最初に触れたワンカット風の撮影技法は「面白い」というだけのものであるが、時間の経過をシームレスに繋げ違和感なく見せるのには驚く。かなり計算されているように思う。直接ツッコまない、観客にあえて語らせるボケなども観客が第三者として近くで見ているように感じさせるためのものであろう。ただ、唯一一人称に変わるシーンがある。それが、銃を持ったリーガンが舞台へ向かうシーンだ。銃を持った時点で、コルクが云々というのはこのための伏線かと思い知るのだが、もう観客はそのクライマックスを思い描いてしまう。そして、さらにそれが第三者視点ではなく、FPS的な対話者しか見えない状態になった時、そのクライマックスへの期待と、相反する絶望を自分のものとして感じる。このヒリヒリさせるような演出をここで持ってくるイニャリャトゥ監督がニクい。まさしく監督賞にふさわしい作品だ。